見晴らしの良さにはワケがあった…日限山の「笹山城趾」に訪ねて

以前に日限山地蔵尊のすぐ横にある日限山4丁目公園からの景色が、お城の天守閣からの景色のようだと以前に書きましたが、実は本当の城跡がすぐ近くにありました。

それが笹山城趾です。

日限山クリエイトの駐車場の正体は城跡だった

伝承のみで語り継がれる後北条時代の山城

「城跡なんてあった?」

そんな声も聞こえてきそうですが、確かに案内板もないですし、当時の名残りもほとんどありません。

しかし、「こうなん道ばたの風土記」(編集:港南の歴史研究会/発行:横浜市港南区役所)や、「こうなんの歴史散策」(著者:馬場久雄/編集・写真:深谷臣功/発行:港南歴史協議会)などを見ると、現在は足元に日限山2丁目公園がある2本の鉄塔が立つ小高い丘が笹山城趾だと記されています。

言い方をかえればクリエイト日限山店の提携駐車場になっている小高い丘一体が笹山城だったそうです。

築城は、後北条時代とされていて、大船にある玉縄城と笹下の笹下城を結ぶ出城だったと伝えられています。

現在、笹山城趾としての名残はほぼ皆無ですが、この地が宅地開発された頃には、屋敷跡の遺構や、古井戸、炭化したお蔵米が発見されたそうです。ただ、具体的な調査報告などは残っていないので、伝承のみ語り継がれている幻の城跡とも言えます。

四方を見渡せる展望が城跡の名残り

そんな笹山城趾ですが、日限山2丁目公園からすぐ上にある駐車場に続く階段を昇ると、そこから見える景色はなかなかのもの。

往時は、玉縄城から立ち上る狼煙を見る役割があったとされているだけに、大船方面を一望できます。この点に気づくと、資料に乏しい笹山城趾の伝承に説得力を与えてくれます。

また、周辺を散策するとこの笹山城趾とされる山の一帯がひときわ高い位置にあることが分かり、「確かに城跡っぽい」と妙に納得できたりもします。

おそらく鉄塔を立てるために山を削った可能性もあり、笹山城がお城としての役割を果たしていた時はもっと高さがあったのかもしれません。

ちなみに現在は、丘の片側にはマンションが建っているのが、まさにお城の天守閣(笹山城自体は山城だったようですが…)を彷彿とさせてくれたりもします。

このマンションの住民の方々が見れている景観が羨ましい限りです。

日限山が、かつてお城が築かれるほどの要衝だったと思うと、なんだか歴史のロマンを感じずにはいられません。

●スポット情報
笹山城跡
神奈川県横浜市港南区日限山2丁目1−22
※クリエイト日限山店と日限山2丁目公園のすぐ後ろにある二本の鉄塔が目印
https://goo.gl/maps/o9PecddgkX2wp6xb7

参考資料
「こうなん道ばたの風土記」(編集:港南の歴史研究会/発行:横浜市港南区役所)
「こうなんの歴史散策」(著者:馬場久雄/編集・写真:深谷臣功/発行:港南歴史協議会)

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