新型コロナウイルスの猛威により、世界中で日常生活に支障が出ています。
日本でも小、中、高が一斉休校になったり、イベントやコンサートが中止、延期になったり、外出自粛ムードの中で飲食店を筆頭に、多くの店舗、施設で客足が遠のき、各所で苦しい状況になっています。
そんな中、3月いっぱいでひっそりと歴史の幕を閉じることなってしまったのが、野庭中学校です。野庭中学校の在校生たちは少し離れた丸山台中学校に通うことになります。
野庭から学校が消える日
閉校式は在校生のみで実施
そもそも野庭中学校は、横浜市でも屈指のマンモス住宅街・野庭に住む子供たちの受け皿として、上永谷中学校から独立するかたちで1974年に開校しました。これまでに輩出した卒業生の数は、8706人。著名な卒業生には、エイベックス株式会社
代表取締役会長CEOの松浦勝人(MaxMatsuura)さんもいるとか。
生徒数がもっとも多かった頃は、1980年生代で、最大で1,400人を越えた頃もあったそうです。しかし、2000年代に入ってからは200人くらいまで生徒数は減少。野庭中学校のラストイヤーとなった2019年度の生徒数は149人。3年生68人、2年生32人、1年生43人、個別支援学級6人という内訳です。開校当初の生徒数が116人だったそうなので、46年の歴史を経て、スタートの頃の規模に戻っての閉校となりました。
しかし、残念なのは、新型コロナウイルスに起因した一斉休校により、野庭中学校の生徒たちは母校で学ぶ最後の機会を失ったこと。生徒たちの気持ちを考えると、「よりによってこのタイミングで…」といったところでしょう。
3月25日の閉校式は、当初は保護者、卒業生、近隣の人たちを交えた賑やかな閉校式が予定されていましたが、在校生と教職員のみの静かな式となるそうです。
現在、野庭中学校の正門近くにある掲示板には、校長先生からのメッセージが張り出されていました。
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【メッセージの書き起こし】
令和2年3月12日
関係者の皆様
横浜市立野庭中学校
校長 湊 浩一
お礼及び閉校式について
昭和49年9月1日に開校してから46年間の時間が流れました。横浜に野庭中学校ありといわれ、8706人の卒業生を輩出してきた本校ですが、野庭地域の少子高齢化のために役目を終えることになりました。開校以来の長きにわたって、関係の皆様には温かいご支援を賜りました。ありがとうございました。心より感謝いたします。
「閉校式」には、保護者や地域の皆様、そして卒業生にも来校いただき、野庭中学校らしくにぎやかに「笑顔」で終わらうと思っていました。しかし、ご承知のように、新型コロナウイルスの感染予防を優先することが求められています。市教委と協議の結果、閉校式への地域、保護者、卒業生の皆様の参加をお控えいただくことにしました。
開校以来、多岐にわたりご支援ご協力をいただいた皆様に、ご挨拶もままならいまま、閉校してしまうことは心苦しいのですが、ご理解いただければ幸いです。
最後になりますが、新しい丸山台中学校に通うこといなりますが、野庭の子どもたちです。引き続き、地域の皆様のご支援をお願いします。
ハナニアラシノタトヘモアルゾ/「サヨナラ」ダケガ人生ダと井伏鱒二も語っていました。
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掲示板には他にも在校生や卒業生代表の言葉も貼られていました。
野庭中学校の閉校を期に、「野庭(のば)」の名を単独で冠する学校は消滅。かつては、野庭小学校、野庭中学校、野庭高校が揃っていただけにさみしい限りです。
※下野庭小学校、野庭すずかけ小学校は現在もあります。
なお、野庭中学校の今後の使われ方は未定のようで、これまで地域の防災拠点としても機能していただけに、今後どうなるかのは、引き続き注目していきたいと思います。