なんで牛?永谷天満宮の参道に鎮座する神牛像のお話

我らが街の学問の神様といえば、なんといっても永谷天満宮です。
菅原道真公にゆかりのある神社で、お宮参りや七五三、初詣など、この街に住む人には何かとお世話になることも多いかと思います。

神の使いの牛だった!

子供の無事な成長を願うなら鼻を撫でよう

菅原道真公といえば、今でこそ学問の神様となっているわけですが、元々は貴族で、漢詩人、学者にして政治家という多才な人でした。政治家として辣腕をふるっている最中、政争から太宰府に左遷され、その後、復権することなく、太宰府の地で生涯を終えました。

ここまでなら政治の世界にはよくある話な気もしますが、菅原道真公の死後、政敵や左遷に関わったとされた人物が相次いで不慮の死を遂げたり、天皇の居所に落雷があり多数の死傷者が出たりしたため、菅原道真公の祟りが噂され、それを沈めるために天神様として奉ったのが天満宮の由来とされています(諸説あり)。

そんな菅原道真公を奉る永谷天満宮ですが、参道の目立つ場所に牛の銅像があります。

なぜ牛?しかも目立つところに?そんな疑問を抱くこともあるかと思います。

神社に詳しい人なら常識に近い知識ではありますが、私は知りませんでした。

その謎を解き明かすべく、永谷天満宮の牛の銅像の下に貼られている説明板を読むと、いい話が書かれていました。

菅原道真公は、左遷されまで自宅で性格が穏やかな白い牛を大切に飼っていたのですが、左遷されることが決まり、牛がどこかに行ってしまったそうです。

可愛がっていた牛だけに当然、方々を探すわけですが見つからず…。結局、太宰府へと発つ日まで牛は見つかりませんでした。

しかし、太宰府へ向かう途中、菅原道真公は暗殺されそうになった際に、目の前に現れたのが、あの白い牛でした。そして暗殺者をたちまち蹴散らし、道真公のピンチを救ったのです。穏やかだった牛がまさかの救世主だった訳ですから、伝説としてなかなかのカタルシスが得られるエピソードと言えます。

別の天満宮の資料を見ると、刺客を角で突き刺し、撃退したあと、道真公はその白い牛に乗り、心安らかに太宰府に向かったともされています。

また、道真公が亡くなる際に残した遺言が、「お墓のことは牛が知っているから、その牛の赴くところに葬るように」というもので、実際、葬儀の牛車が安楽寺で止まったというエピソードもあります。

これらの神秘的なエピソードもあり、この牛は神の使いだったとも言われ、「使いの牛」として、各天満宮で奉られているそうです。ちなみに永谷天満宮では、「神牛像」と呼ばれています。

ちなみになぜ座っているのかというと、葬儀のエピソードの牛が安楽寺の前で座り込んで、動かなくなったことが関係しているのではとも言われています。

なるほど~。

そんなありがたい神牛像は、学業成就や子供の無事な成長を祈願するために鼻を撫でる人があとを絶たないそうです。

永谷天満宮に参拝の際には、この「神牛像」も一緒に参拝してみてはいかがでしょうか?悪いことが起きる前兆をしらせてくれたり、絶体絶命のピンチから守ってくれるかもしれません。

●施設詳細

日本三躰 永谷天満宮
所在地:横浜市港南区上永谷5-1-5
アクセス:横浜市営地下鉄上永谷駅より徒歩5分
http://nagayatenmangu.or.jp

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