450年前にタイムスリップ!?室町時代のこの町を感じられる野庭神社
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野庭には、地元の人が「野庭神社」と呼ぶ神社が2つあります
正確には「野庭神明社」と「野庭神社(蔵王権現御嶽社)」というのですが、方や野庭団地の一画にあり、もう一方は、住宅地として開発される前から存在する集落のあるエリアにあるため、どっちのエリアに住んでいるかで、「野庭神社」がどっちを指すかが変わってきます。

野庭団地の一画にある野庭神明社。この周辺に住む人は「野庭神社」と呼んでいたりもする

今回紹介するのは、「野庭神社(蔵王権現御嶽社)」。


いったいどんな神社なのでしょうか?

室町時代に建立された歴史ある神社

450年前の野庭を想起させる田園風景

野庭エリアは、野庭団地だけを切り取れば、戦後に開発された新興住宅地というイメージを持ちますが、野庭全体を見ていくと、鎌倉時代の史跡や古道があったり、古くから集落があった長い歴史を持つ場所です。

今回紹介する「野庭神社(蔵王権現御嶽社)」が建つエリアは、畑や林、古くからこの地に住んでいたと思われる旧家が多く、野庭団地周辺とはまるで趣きが異なります。前情報がなくこの辺を散歩していると、「本当に横浜?」と思ってしまうような自然が多さとのどかさが感じられる場所です。

そんな時に見つけたのが、「野庭神社(蔵王権現御嶽社)」でした。
野庭出身の妻と結婚した最初の年に初詣をしたのが妻いわく「野庭神社」だったので、「野庭神社が2つある!」とかなりの衝撃を受けたものですが、よくよく調べれば私と妻が初詣をしたのは「野庭神明社」だったワケです。

「野庭神社(蔵王権現御嶽社)」の入り口には、説明板が設置されていて、それによると建立されたのは元亀元年「1570年」。今から約450年も前、室町時代にまで遡ります。

野庭神社「蔵王権現御嶽社」
元亀元年「一五七〇年」室町幕府の足利将軍義明の時代、野庭郷をいわれた頃、御当地開発者、臼居杢右エ門氏が、大和国吉野山の地主神金峯神社別名蔵王権現社に、勧請して御身体を授り、野庭御字西ノ町権現山に蔵王権現社として建立されたものと言う。
祭神は日本武尊で有る「一七八九年」寛政元年現在地に移転された。其の後神殿の老朽に伴い、明治三年十月以て白居家十六代藤八利胤の発願により、上野庭村の総意を以て造営されて、此の年神祇官により、野庭神社御嶽社の稱号を授けられた。祭神の新たかなることは有名で、爾来御当地の氏神として信仰の中心として今日に至っている。
昭和五十五年 上野庭町内会文化部

ちなみに看板に出てくる「臼居杢右エ門」ってどんな人なんだろう?と思って調べたところ、下総の戦国大名・千葉介親胤の重臣として仕えた臼居惣右衛門守胤公の息子となっていました。そして臼井家の菩提寺である常念寺のWebサイトによれば、「1540年代に臼居杢右衛門胤知公(鎌倉臼居家3代)が家来30人、足軽300人を伴い、現在の野庭町(野場)来郷」と書かれていたので、臼居杢右エ門さんもまた武将であったことが分かります。

看板の字面だけ見ると行動力溢れる地主さん的な感じなのかと思いましたが、武将だったワケです。

神社としては、“村の神社”といった風情が残っていて、質素ながらもそれがまた魅力です。また神社周辺の景色が今もまだ自然が多く残る田園風景のため、この神社が建立された450年前と実はそんなに景色が変わっていないんじゃないか?と思えるのもロマン溢れるポイントです。

神社の目の前に広がる里山

●施設詳細
「野庭神社(蔵王権現御嶽社)」
所在地:神奈川県横浜市港南区野庭町1838
祭神:日本武尊命 ( やまとたけるのみこと )
Webサイト:なし

ちなみに場所は野庭高校跡地からさらに奥に入った場所にあり、野庭団地を基準に考えると谷の下、ちょうど団地の足もとに位置するエリアとなります。鎌倉~室町時代から続く野庭の歴史を感じたいときには、お勧めのスポットです。

北条政子が馬を洗ったとされる川があったり、和田義盛が築城したといわれる関城(現・野庭中央公園)があったり、歴史上の人物たちにも縁が深い野庭、奥深いなぁ。

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